1月号

雑誌を購読しなくなってから、どのくらいが経つだろうか。
ネットには無くて、ワクワクするような発見のない限り、わざわざ雑誌を買うことはない。
そのような物を、還暦を過ぎの爺いに提供するのは、並大抵ではあるまい。

とはいえ、ずっと定期購読している雑誌が私にはある。
岩波書店の「図書」だ。
この雑誌だけは、こちらの好奇心を刺激してくる。敬拝する。
よって、定期購読なのだ。






漆の皿

 
 嫁ハンが、店の前に100円均一の商品を放置してある骨董屋から、漆の皿を買ってきた。
 塗りが良いからとか言って、洗って布巾で拭いて並べて見せるので、閉口しながら、半信半疑で覗くと、なるほど漆に深い艶がある。
 
 嫁ハンが留守の昼食時に、ふろふき大根と大根なますを乗せてみた。美味そうに見える。正直に言って、我が家にある他のどんな器よりも引き立つ。
 これだけの皿を作るには、かなり手数がかかっているはずだ。
 埃の中から見つけてきたのを誉めてやりたいが、つけ上がるから止めておこう。
 次に何を拾ってくるか判りはしない。
 
 
 
 
 

侘助

侘助が寒さでやられないようにと、玄関に鉢を入れている。
慌ただしくて、ゆっくりと愛でる間もなく、つぎつぎに花の落ちて行くのがやるせない。
 

 
いつか絵にしてやろうと思いつつ、何年もそのままになっているのが気にかかる。
水をやりつつ、まだ咲いていない蕾を数える。

冬の写生

やっと少し時間がとれて、写生に出る。
日曜日でも、この慌しい時期の日暮れでは、流石に人出が少ない。

写生に良い時期となって来た。

熊に出会わないようにしながら、なるべく野良に出たいものだ。

陣屋の店先に入った薪ストーブを見学して、山のふるさと村にあるヤマセミ亭まで、コーヒーとチーズケーキを目当てに足を延ばす。



携行の筆

 筆ペンの事を書いたら、知人の筆師から何やら言ってきた。
 仕方ないから、企業秘密でもあるが、私の携行用の筆について少々書いてみよう。
 

 
 
 当然、ナイロン毛の筆ペンには限界がある。
 あくまでも、非常用である。矢立の代用品。
 
 
 筆の力を必要とする時には、硯を持って行くと言う強者もいるが、私には,そこまではできない。
 必要と感じて携行する時の筆は、「狸山」という狸毛の筆だ。
 毛の一本一本が強いので、ハードな状況でも耐えてくれる。まとまりが少し悪いが、そこは技でカバーする。毛の消耗は少し早いが、価格も高くないので、気にならない。
 
 墨は、矢立の綿に含ませたものではダメなので、好みの墨汁を薄めて持って行く。磨った墨はすぐに腐敗するので、持って行かない。

 入れ物は,墨汁メーカーの容器が研究されていて使いやすい。
 このためにだけ、これを贖う。

筆ペン



若い時には、矢立を持って写生に出たこともあったが、あれは手間もかかるし、思う様に描けないしで、挫折した覚えがある。

しかし、この頃のナイロン毛を使った筆ペンは、なかなか侮れない品質を持っている。特に、携帯性を考えると素晴らしいとさえ言える。

この何年かは、ぺんてるの携帯筆ペンを愛用している。価格を考えるとこの品質にには脱帽ものだ。

とはいえ、不満もある。細い線を引く事には合格点を取っているが、太い線が引けないことだ。

それで、いろいろと浮気をしてみるのだが、なかなか代わるものはなかった。

それで、少し価格が高いのだが、あかしあ胡麻竹軸を使った筆ペンを試してみた。様子が良いと云うのも、大事な要素である。

ぺんてるのものに比べて、ほんの少し太い線が引ける。だが、細かい線は描きにくい。これがナイロン毛の限界というところかもしれない。
守備範囲が狭い。

 アカシアの筆ペンは筆箱から外そうかと思ったが、なんだかそうも決心がつかない。
 筆先に関しては、性能的にはぺんてると甲乙をつけ難いのだが、筆全体を総合的に考えた時に、描きやすいのだ。それは主に、軸の形と質感からくる。価格の差もここにあるといえる。持っていて楽しい。

 ぺんてるが巻き返してくれると嬉しいのだが。