刈り込まれた冬の木

210日づけの東京新聞に、鷲田清一氏の寄稿があり、首肯くところがあったので、自分なりに要約してみた。

 

氏は、エリオットを引用しつつ、社会の過度の統合も過度の分断もいずれは「圧制」を招き寄せる。と述べ、

 民主主義は一方で、社会の過剰な統合に対してリベラルな「民主化」の運動として立ち上がるだけでなく、 

 もう一方で、現在のように「格差」や民族対立、排外主義といった社会の分断が過剰なまでに深化してきているなかでは、むしろ共有可能な価値を模索しつつ人々をつないでゆく運動として求められもする。と述べ


 次に、民主主義は「国民」という同質的な枠組みにおいて機能するだけでなく、家族や地域コミュニティ、エスニック集団や国家からさらには人類社会まで、いわば多次元的に模索されるべきだ。と言う


 そして最後に、民主主義的な決定には、社会を構成する現メンバーだけではなく、死者や未来世代という不在の人達の現在も背負っている。と述べている。

 

 鷲田氏が京都芸大の学長である事も考えあわせて、芸術の果たす役割があると思った。