筆入れ

 この数年のテーマの一つに、日本美術史をちゃんと自分で考え直すということがある。
 その中で、たびたび認識せざるを得ないのは、日本という国が敗戦国だということだ。
 常に自分で考えるという行為を放棄して、どこかの神の声にすがって己の正当性を語る。
 学校で教わった歴史は、自分でもう一度書き換える必要がある。
 
 とは言っても、どこかの人のいうような「自虐史観を訂正せよ」などということではない。
 もっとしんどい作業なのだ。でも希望をもてる作業であると思う。
 その原点は質的に違いはあるとはいえ、明治維新と戦後にある。2つの敗戦だ。
 
 そんなことを考えていたら、内田樹という人が「62年を経て、やっと日本人は敗戦という事実を受け入れられるようになってきたようだ」というような趣旨の発言をしているのを発見した。
 そうか、そうか。これも時代の流れなんだと、納得。
 「敗戦という自明の事実を、忘れたように生きてきた日本人というのは、なかなか強かなのではないか」とも内田氏は発言している。
 なるほど、なるほど。これは考え至らなかった。