2011-01-01から1年間の記事一覧
机の上に置きっぱなしになっている葉書を見ると、青年団からのもので、柿もぎをやるから出てこいとの通知だった。 「何をのんびりと・・・」と思いながら先を読むと、高齢者が増えて放置している柿の実に、熊が集まってくるので何とかしようという話だった。…
菊の花は、何だか仏壇に似合いそうで、どうも食指が伸びなかった。 菊人形や、葦簀張りの小屋にずらりと並んだ鉢植えの大輪も、私に絵に描いてみようなどという酔狂を起こさせることはなかった。 それが庭の片隅で、霜に当たって倒れかかっている小菊を見て…
近所に回覧板を持って歩いている時に、道端で拾う。 どうやら木の実らしい。う〜ん、こんな小さな花を付ける木は何だろう? などなどと考えながら、夕暮れの道をとぼとぼと歩く。
ここでは、キツネは狸と違ってあまり頻繁に観ることがない。 増えても、ある程度になると病気が発生するのか、叉減ってくる。 コーンと鳴くと思っていたのだが、ギャ〜と言うような声だ。場合によってはコーンと鳴くのだろうか。 この獣には何か他と違う所が…
日除けに繁茂していた朝顔も、終わろうとしている。 こぼれた種が来年も芽を吹くことだろう。 網にからんだ、蔓を外すのは結構大変で、「きれいな形をしているなぁ」という感激も、いい加減萎えてくる。
屋根の上でドタバタ五月蝿いのは猿めかと思って見上げると、烏だった。 なんだか、お喋りをしながら遊んでる。 邪魔をして恨まれても恐いから、家の中で大人しくしている。
暖かい秋で、いつまでも畑の緑が褪せないが、それでも流石に衰えてきた。 畑の万願寺を捌き、実を幾つか収穫して、葉を佃煮に炊いた。 晩秋の楽しみ。 温燗は一本で我慢。
草原で見つけた。でも栽培種に見える。 面白い草の実なのだが、名前が解らない。単子葉植物。 野に出て草原や藪を覗きながら歩くのは気持ちが良い。 自然の中をあることで、頭の中の暴走が収まってくるのだろうか。 人間は動物なんだから、大事な事だと思う。
愛用のマグカップを階段から落して割ってしまった。 哀悼の意を表す。有り難う。 しばしこの空白を埋める物が無いだろう。
近所からもらった柿。 柿には色々の種類があると以前書いたが、この4つに割れた柿は奥多摩の小河内地区に多い物らしい。廃校となった小河内中学校の校章はこれをデザインした物だった。 私がここのPTAの会長だった時に廃校の交渉となり、決断を下した。 柿…
昨日の続き。どうも開ききった薔薇は美しくないなぁ。 もう少し付き合って見よう。個展が近づいて慌ただしくなってきている。
以前から水墨の薔薇を描いて見ようと思っている。 それで幾株かを手に入れて眺めているのだが、なかなかに手を付けられないでいる。思うような姿が現れてこないのだ。 近くにバラ園でもあれば通うのだが、なにしろ人出が多くてはおちおち写生も出来ない。人…
前のラジオが壊れて、新しいラジオを買った。 評判ほど電波の入りは悪くなかったが、使いにくい。 やたらとボタンが多くて、間違ったボタンを押してしまうので、移動が出来ない。むやみに触れられないのだ。 作ったソニーは、なるほど、これをラジオとは言っ…
筒井氏から標本を恵贈さるる。うれしや。 この類いのカミキリはまだ奥多摩では見たことが無い。見ても分からないのかもしれないのが悔しいが。 とりあえず写生をするが、また虫眼鏡でゆっくりと眺めるとしよう。破顔。
全然思う物が出てこずに、苦労して写生をする。 何枚も色々に技法を変えて試すが、結論に至らず。 帰宅して並べて見るうちに、何かしら出かかっているのは分かる。 方法も少し見える。無駄ではないのだ。
喬木である。この花も目にすると嬉しくなる。 花の形、色、珍しさ。 有り難いのだろう。 今日は晴れて、気持ちの良い秋の一日だった。 ありがたや、ありがたや。
手元の礬水刷毛に目が行く。ずいぶん古いものだ。40年くらいか? 和紙の滲み止めを塗るのに使うだけだから、消耗が激しくはない。 柄の先が折れて、絵に使うには不便なので、礬水用に回した覚えがある。 手に取ってみると、あの頃は悪い筆だと判断していたの…
嘗めてかかったかかった岩の写生にてこずる。 紙を7、8枚無駄にしたろうか。いやはや。 教訓を語るのは止めておこう。
秋の深まる山野で一際目に付く赤い色だ。この木が好きな人も多い。 色彩だけではなく、この枝の描く曲線や返り(節)等を見ていると、いかにも日本人の持つ繊細さに訴える物がある。 筆で追いながら、葉の持つ曲線にも微妙な心遣いが見て取れる。 写生をしな…
一時中断していた「毎日筆写生」を再開したのは、これは良くないという自覚なんだけど、早速に何を描くか詰まってしまった。 就寝前に慌てて身の回りを見渡すが、反応する物が無い。窮して己が足を描くことにする。「じっと手を見た」のは、石川啄木だが、足…
秋の深まるのは寂しい。労苦が待っている予感とでもいうか。 どうやって美を見つけるかが問題だなぁ〜と思ったりした。 鉄線の種はなかなか面白い形をしている。 葉が枯れてきて、形を失いかけている。その風情も良し。
画室のカボチャがまた一つ崩壊に向かう。 ただ手を拱いて、眺めている。
和尚さんに庭の柿を分けてもらい、何やら有り難い気分になる。しかし、柿の種類というのは多いなぁ〜と改めて気付く。 貴重な甘みのある果物として、昔から大事にしてきたのだろう。
酩酊君となって描いたらしい。記憶にないことをやっている。最近あれこれバタバタとやっていると、物忘れをする事が多くなった。 薬罐の火をつけっぱなしで空焚きさせたり、風呂の火を止め忘れたりと、ドキッとすことが続く。それで腕につけても気にならない…
水茎堂より「快」というラベルを貼った、寸法違いの筆が三本届き、意見を求められる。復刻だが、少し改良を考えたいという。日常使いの筆というのは難しい所がある。何でも出来ないといけないからだ。 私はこのところ、水茎堂の「狸山」を用いていた。日本風…
近ごろワクワクすることが無いなぁとぼやいていたら、荷物が届いた。 箱を開らいて、驚く。箱が三つ。 ワクワクを越えて、ドキドキでひとつずつ開く。
秋も進んで、そろそろ八頭の葉も勢いを無くして、乱れてきている。 気分ではまだ夏の終わりなのだが、容赦なく時は流れて行くのを、認めざるを得ないのだった。時間補正が必要だなぁ〜。
右上の転がっているのがトラフカミキリの死骸です。分かりにくいですが。
急に寒くなって、畑も勢いを無くしてきた。 青トもそろそろ終わりに近づいてきたが、まだもう少し頑張ってもらいたい。気温が下ってきたせいか、体調の方は少し回復してきた。
高水山への上り口にある高源寺は、特別に立派というのではないが、土地の相が良くて気持ちが良かった。これは寺域裏の社の鳥居。