忙しくなると、無意識的にスケジュールを忘れてしまう。 逃避しているのだろう。 「無知は心地よい」という 惨めでも、目を開けておかなくてはなるまい。
酒も好きだが、甘い物も好きだ。 文旦の砂糖漬けピールが届いた。 ありがたや。 ほんのりした苦味のある甘味がよろしい。 こんな幸せが続いて欲しいと思う。
ミニトマトをもらった。 この季節に、甘いトマトだ。 どんな人が作ったのだろう。 大変だろうなぁと思う。 いろいろ考え始めると、複雑な事になって行くので止めた。
喫茶店の窓から見える樹は、枝下ろしがされていて惨めだが、街の中では致し方のないことか。 全てが嘘に見える。 新しいアトリエの候補を下見する。悪くない。大きな絵が描けそうだ。うまく進んで欲しい。
よほど気をつけていないと、つい囚われてしまう。 日常的に、そうしたものから離れる時間を持つことを、習慣づけておかないといけないとおもう。
44年を経た節分の日に、やっと墓前に立つ決心がついて、山寺に向かった。 いざ、その時になって事の大きさに気がついたが、もう遅い。 立会い人が何人も控えていた。 喝!
古い張子の人形をもらってきた。昔の人の伸びやかな筆遣いが嬉しい。もう、こうした筆を見る事はできなくなるだろう。
通路脇で商売をしているような違和感がある、直接物を売っていればまだマシと云う気がするのだが。 でも、これがやってみたかったのだ。 このざらざらとした感じ。振動でだろうか、ショーウィンドの中の絵は、曲がってしまっている。 それでも、何人かは立ち…
葡萄の実を描くなどというのは、子供の頃以来だと思う。記憶に無い。 恐らくは、その余りにも人工的な完成度に指食が動かなかったのだろう。 今年はどうした訳か、あちこちから葡萄の到来が多いので、ふと筆を執った。 朝刊に岡本文弥の記事があり、気になっ…
先日、風呑窯を訪れた時に、ヤマボウシの実を分けてもらった。 その時の喜びが今も続いている。単純なんだろうか。 絵にしたから、それは見るたびに甦ってくるだろう。 幸せとは何なのだろうと、改めて思う。 奥多摩の山の上にある窯を訪れた喜びとは、何な…
以前住んでいた家の隣のお婆さんが、足元もおぼつかないのに、外へ出て草取りをしていた。 地面を這うようにして、いかにも大義に見えたが、気持ちが良いのだと話してくれた。 昔は学校でよく草むしりをさせられた。 家でもさせられた。 何かの罰で命じられ…
机の前に座って仕事をし続けていると、変な追いつめられ方をして、おかしくなる事がある。 そんな時には山を眺めたり、川の音を聞いたり、雑草を抜いて土に触れると、正気に戻る。 自然が総ての源である。 ガンの手術を終えて、近所の人が帰ってきた。 訪れ…
久しぶりに、日暮れのベランダに出て一服する。 空を眺めると秋の雲だ。 今年は入道雲を見ただろうか? 土砂降りの雨と照りつける陽射しの強さに、空を見上げる余裕もなかった。色彩は人の感情に強く働きかける。 秋の空の澄んだ青はすがすがしいが、寂しい。…
お盆をすぎて、朝晩は秋の気配が強くなってきた。 体力の限界を感じ、息のあがる毎日だったが、すこし楽になってきた。 春に作ったミミズ・コンポストも、真夏の暑さを越えて、順調に生ゴミを処理してくれている。 捨てたゴミの中の種が発芽すると、熱を出す…
8.15に発行予定のDONJIRO3が印刷の関係で遅れてしまったので、イラストの一部を載せる。発行は月末になりそう。 今日は正午のサイレンを合図に黙祷を行った。久しぶりの事だ。それだけ戦争が身近かになってきたのだ。 なぜ、あんな戦争を引き起こしてしまっ…
このモデルさんの筋肉のつき方や、身体の動かし方が不思議で、ずっと何をする人かと気になりながら描いていた。 もしかしたら中国人なのか? 終わり近くになって、動きは太極拳だとは判ったのだが。 なんで裸婦を描くのかと言われると、いろいろ理由はあるの…
長い間、スケッチもしていない事が気にかかっていた。 判ってはいたが、具体的に日数にして、何に追われていたのか思い返してみるのは恐ろしい。 禄な事をしていなかったはずだ。 変化を求められているのは知っていた。しかし、新たな事を完成させるにはそれ…
清美さんが山葵田の横に生えていたといって、蕗の薹を届けてくれた。 店で売っているのを横目に、土地の物が出るまで我慢をしていたのだ。鍋の湯が沸いたので早くしろと急き立てられて、手短に写生する。 早速に蕗味噌にして、飯を食う。畑の雪も少なくなっ…
大きな鞘に入った豆の数は少ない。 でも、この形に愛嬌があってよろしい。 塩ゆでにして肴に。 季節の味わうのは嬉しい。
大分気温が緩んできて、雪も僅かとなった。 ホッとすると同時に、あれこれの溜った雑事が吹き出してくる。 まぁ、雑事以外にさしたる用もないとは言えるのだが。 この春先の纏まらない、なにか薄ら寒い感じが世相と相まって強まってくる。 嫌な感じだ。 昨日…
筆書きの手紙をもらう事が、めっきりと減った。 炬燵に入って、かん酒をしながら、ぼちぼちと手紙を読むというのは、もう失われた楽しみなのだろうか。 こんな贅沢な日常を過すことが、許されなくなったのだろうなぁ。
台所のコップにネギの使い端が入れられていた。 その濃い緑の美しさ。 ここから春が生まれそう。
先日の大雪で、自衛隊の支援物資を取りに行ったり、配ったりというので、30年ぶりに活躍をしたフレーム・ザックを片づけた。 古いデザインと素材だけど、ちゃんと役に立った。 錆びついた金具を交換しようかとも考えているが、もう出番がない方が助かるの…
若い時には写生が好きではなかった。 学習や下準備という意識があって、絵の具を塗りたくて仕方なかったのだろう。 今では、写生が好きになっている。 クロッキーは時間が短いので、思考をいろいろの角度から探る事ができるところがよろしい。 なにしろ、目…
南側の雪は大分溶けてきた。 頑固な北側の雪もきょうはだいぶ溶けた。このまま行って欲しい物だ。 小河内地区は、雪崩の心配で未だに路線バスが運休している。
三月の個展案内状が届く。
窓辺の皿上の植物群だ。 花が咲いているのだが、もうドライフラワーになっているのかもしれない。 葉も、形だけが残っているのかもしれない でも、彼らが生きている事は判る。 絶えないように、ときどき水を補っている。 春になって彼らが動き出すのを待って…